皆さんご苦労さまです。こんにちは。今、お話がありましたけど、皆さんご多忙中のところ私たちのご苦労さま会に出席いただいて大変ありがとうございます。私たち運営委員会と協力団体、または避難生活にご支援をいただいた皆さん方のご苦労さま会をして、帰島に備えようじゃないかということで企画いたしました。改めてこの会を通じて、ご支援をいただいた皆様方に感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。
改めてご支援をいただいた全国の皆様に、心より感謝を申し上げます。私たちは2月1日午後3時の避難解除により帰島いたします。その間、島民連絡会を振り返ってみますと、第1に避難生活と帰島問題について島民の声を4回にわたりまとめまして、要望書を提出もし、改善を求めてまいりました。
第2に被災者の立場から、長期避難生活の困窮化と島内家屋等の被害状況などを島民対話集会、フォーラム、アンケートなどを行い、マスコミの皆様方のご協力をいただきながら、社会的理解と支援の輪を広げる努力を行いました。
第3に、火山地域の市民団体相互支援ネットワークを中心に、被災者生活再建支援法の改正のために全国から16万の請願署名を集めて努力した結果、住宅安定支援制度の200万円の新設、三宅島島民のために移転費用70万を新設して決めていただきました。また、東京都も先日、150万円の住宅支援策を議会で決定いたしました。
第4に、ふれあい集会実行委員会に参加、または電話帳配付などボランティアの皆様のきめ細かな心温まるご支援に支えられて、私たちは島民のコミュニティの維持強化と心の復興にも努力をいたしました。
このような活動は分散避難のために解体された島民コミュニティの困難な中で、再組織した地域島民会の皆様のご努力に支えられ、運営委員、事務局の献身的なボランティア活動によって行われたものであり、特に地域島民会においては全く地区の異なる島民が突然、団地等の生活を送るということになりまして、人に言えないご苦労を地域島民会の役員の皆さん方はしたことを承知しております。
また私たちの毎月の島民会の会議に不自由な体をいといながら、雨が降ったり、風が吹いたりの中でも一生懸命に参加をしていただいた高齢者の方々の活動についても本当に頭が下がる思いであります。改めて皆様方にも感謝の意を表したいと思います。どうもありがとうございました。
今後は火山ガスの放出に対する安全対策と生活、住宅、そして産業支援策の強化はもとより、帰島をしたくてもできない人、子供や勤務先、健康などの理由により保留したり、また家族分散の二重生活を送る人、高濃度地区で住宅、農地など産業基盤を奪われている人々などを考えますと、三宅島はいまだ深刻な被災地であります。私たち三宅島島民連絡会は、避難生活の終了により解散となります。
しかし今、挙げました被災地としての課題は何ら解決をしておりません。島民はさまざまな共助、自助努力と公助を求めて、生活、ふるさとの再生を行わなければなりません。
さらに、4年半の避難生活と災害対策問題を検討することも大切だと思います。特に自然災害は私たちの予想を超えた発生をいたします。私たちの備えはどうだったろうということも反省をする必要があると思います。この4年半は私たちにとっては目標のない避難生活で、大変苦しいものでした。長期的予想も立て、対策が必要だったと思います。復興には10年、15年必要だと思います。
私も最近、神戸・阪神のほうに呼ばれてお話を聞く機会があるのですが、10年たってもいまださまざまな復興課題は残ったままであります。そういうことを考えますと、4年半のこの長期避難生活、そこにおける三宅島の現状というものは相当長い復興期間が必要ではないかと思います。
私は今、考えます。もし10年ないし15年の復興期間が必要とするならば、三宅島は今まで20年周期で噴火がありました。もしこれが再び20年周期で噴火が起こるとするならば、何と私たちは復興した後に、またすぐ噴火災害ということも想定して生活しなければならないわけであります。そういうことを考えますと、まだまだこれからは、この間の4年半の長期避難生活、または防災対策を振り返って、これから起こるさまざまな自然災害、特に自然災害の中には泥流による危機も指摘をされておりますが、そういうことを考えますと今後は相当長期的な見通しに立った備えを、今日お見えになっている村長さんを先頭にして島民も考えていかなければいけないということを、私はこの間、強く感じます。そういうこともこれから私たちは帰島の後にもお互いに検討をしなければならないと思います。
私の挨拶文を配りましたけれども、その裏に「東京七島新聞」の再生ネット立ち上げの投稿記事をコピーしておきました。島民活動の経験から、微力でありますが今後も有志を糾合して努力を重ねていきたいと思います。また、時間の関係で割愛しましたが、挨拶文で意をご理解していただきたいと存じます。
最後に強調したいことは、私たちの住む三宅島は世界有数の噴火先進地です。この島に住み着いた私たちのご先祖様は、創造と破壊、破壊から再生を繰り返す自然界の営みの中で、自然の恵みと人間の知恵と力により噴火と共生をして乗り越えてまいりました。私は帰島により、一部の困難な地域、生活条件を除き、「案ずるより生むが易い」の故事ことわざのとおりふるさと再生ができることを祈ります。
三宅島島民は、困難に負けずに行政、ボランティア、マスコミの皆様のご支援、ご協力に支えられて頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
最後になりますが、本日、村先生がこのように立派な、「噴火避難のいばら道」ということで4年半の日記を軸にいろいろと問題点を指摘しながら書いたものを皆様方、特に来賓の方々にもお配りすることになっております。また後ほどになると思いますが、先日行われた第3回フォーラム東京大会「三宅島の復興を考える」の記録もできました。それぞれ関係者の皆様方にも贈ることができると思います。
ひとつ、こういうものも大切にしながら今後に備えをすることも、大きな私たちの責務ではなかろうかと考えております。そういう点では村先生を初めまして、またきょう、このパンフをつくっていただいた木村先生も含めまして、今後の私たちの三宅島噴火災害に対する備えをつくる意味でも大切にしながら勉強を重ねていきたいと思います。大変ありがとうございました。ご清聴どうもありがとうございました。
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