ラジオ出演とその内容
~NHKラジオ、ゆく年くる年、2006年1月1日~
平成18年1月1日0時3分から全国放送で、三宅島の状況をゆく年くる年で紹介をいたしました。三宅島の佐藤会長宅から生放送で全国に放送されました。司会進行は二見和男アナウンサー、スタジオゲストには脚本家の山田太一さんがお話しになっております。三宅担当のアナウンサーは原口雅臣さんです。
二見 明けましておめでとうございます。山田さん、明けましておめでとうございます。
山田 明けましておめでとうございます。
二見 新しい年を迎えた各地の表情を見ていきます。まず、災害からの復興を願う人たちの新年です。噴火災害に見舞われた東京の三宅島。去年2月、避難指示が解除されて島の人たちが戻り始めています。
原口 東京から南に180キロ。伊豆諸島の三宅島です。気温は7度です。夕方までは強い風が吹いていました。今は風もおさまり、静かな島に潮騒が響いています。島の北側、神着地区にある佐藤就之さんのお宅です。海を見おろす高台にあります。
佐藤さんはここで、95歳になる母親のしげ子さんと暮らしています。近所に住む親戚や佐藤さんの幼なじみが集ってにぎやかな新年を迎えています。皆さん、明けましておめでとうございます。
一同 おめでとうございます。
原口 佐藤就之さんです。定年退職して、島に戻ってから噴火災害に遭いました。佐藤さん、ようやく4年半ぶりに帰れましたね。
佐藤(就之) そうですね、本当にうれしいです。感慨無量です。母も元気で島に戻れたことは本当に喜びで、友だちもきょうはお祝いに駆けつけてくれました。これは、全国の皆さんから長い間ご支援をいただいたたまものだと思います。本当にありがとうございました。
しかし、三宅島はまだ火山ガスが出ておるために、1,000人以上の人が家に帰れないで避難をしているんです。そういう人たちがこの1年、しっかり健康に気をつけて1日も早く帰ってくることを願わずにはいられない心境です。
原口 そうですよね。実際に帰ってみても、生活面では不便も多いのではないですか。
佐藤(就之) そうです。火山ガスで家屋もほとんどがだめになりまして、また、裏の茶畑も竹が茂ってしまって、使える状態ではないんです。生活がもとに戻るにはまだまだしばらくかかると思いますけれども、頑張っていきたいと思っています。
原口 ありがとうございました。噴火前には、三宅島におよそ3,800人が暮らしていました。しかし、ことしの正月を島で迎えられたのは、2,400人ほどです。「生活のめどが立たない」といった理由で帰ることができない人も多くいます。
佐藤さんの妻の宗ノ子さんは都内に避難を続けたままです。喘息を患っているため、火山ガスが出続ける島に帰ることができないのです。「家族と平穏に暮らしたい。1日も早く生活を立て直したい」三宅島の人たちの願いです。
二見 ラジオセンター・原口雅臣アナウンサーがお伝えしました。家族が離れ離れの年越し。島の方たちは本当にまだまだ大変な生活を強いられているんですね。
山田 本当に長いですね。やっぱり都会はよくも悪くも人のつながりが薄いですから、そこへ災害で移ってこられたという方々は本当につらい年月だったと思いますし、長い仮住まいというのは本当にお疲れになると思うんです。
長く住んでいた土地というのはほかの土地では得られない心のしんに触れるようなものがあると思います。そういうところへ何とか早く帰っていただきたいと思います。
二見 2000年9月の全島避難から去年の2月、4年5カ月。
山田 そういうと長かったですね。
二見 しかし、天災の部分がありますからね。いつまで続くかわからないところも確かにありますから。これは我慢して頂いて1日も早くと願うしかないそうですね。
-- 0時40分、再び三宅島、佐藤会長宅からの放送です。
原口 三宅島の神着集落にある佐藤就之さんのお宅です。95歳になる母親のしげ子さんと親戚の方、そして佐藤さんの幼なじみの方も集っています。こたつにはおとそとお節料理も並んでいます。皆さん、お邪魔しています。こんばんは。
一同 こんばんは。
原口 年が明けてから、母親のしげ子さんに離れて暮らしている子どもたち、そしてお孫さんたちから次々に電話がかかってきました。もう何件もかかってきましたね。うれしいですね。
佐藤(しげ子) ええ、元気なことが私の一番の幸せ。幾らお金を積んでも元気ではなかったらどうしようもないものね。
一同 (笑い)
原口 ことしもいい年にしてくださいね。
佐藤(しげ子) 皆さんもいい年で。
原口 ありがとうございました。島に帰った皆さんにとっては、6年ぶりにふるさとで迎えるお正月です。火山ガスと向き合う日々は続きますけれども、これから島の復興に向けて息長く前に進もうとしています。三宅島でした。
二見 ここまでおよそ1時間にわたって各地の様子をお聞きいただきました。山田さん、今のしげ子さんの言葉ではないですけれど、元気に、そしてこの時代を心豊かに生きていくために必要なこと、何が必要だと思われますか。
山田 いろいろなことが必要だとは思いますが、社会が複雑になって、何事も、日本はおろか世界じゅうとリンクしているというような時代になってくると、そんな大きな規模の世界を実感することは、1人の個人にはちょっと難しくなってきていますから、かえってそんな細かなことは感じないで、自分の趣味とか小さな周囲の都合で動こうというふうに、だんだん狭く閉ざしてきているような感覚があるのではないかなと思います。
ですから、一度、そういう周囲の都合などに引きずられないで、素朴に人間にとって何が大事なのかということを自分にも問いかける、そういうことが大事な時代になってきているのではないか。
例えば、どんな生物も最大のテーマは自分の一生ではなくて、次の世代にどう引き継ぐかということが非常に、微生物でも大きな動物でもそうですよね。そういう生物の幹みたいな流れというものを人間は少し忘れてきているのではないか。それぞれ個々の幸せを少し要求しすぎているのではないか。縦のつながりを考えなければいけないのではないかなということと、それから国のプライドとか金もうけも大事ですけれども、何より、そんなことをしたら生身の人間は壊れてしまうよというところが判断の基準にならなければいけないと思います。
それを抜きに効率とか合理化とか経済成長なんていうものはないのではないでしょうか。
二見 そういったところをじっくりと見回して生きていきたい。豊かな年にしたいということで。ありがとうございました。ゆく年くる年、そろそろお別れの時間です。ゲストは、脚本家の山田太一さんでした。本当にありがとうございました。今年も皆様にとってよい1年となりますようお祈り申し上げます。