ラジオ出演とその内容
TBSラジオ「土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS」
2011年3月26日(土)AM8:20~
人権トゥデイ
『「三宅島新報」に協力する若者』
崎山 「東日本大震災の影響がこれから長期に渡って続きそうですけれども、今日は11年前から噴火災害が続いている伊豆諸島の三宅島の話題です。
三宅島は一時全ての島民が島の外に避難して、6年前に避難指示は解除されたのですが、火山ガスの放出が今も続いているために島に帰れない人がまだ沢山いるんですね。
人口は噴火前の7割に減って、その上高齢化が進んでいます。
また、三宅島の主要な産業は漁業と観光ですが、観光客は噴火前の半分になってしまったそうで、噴火災害からの島の復興は未だ道半ばというのが現状なんですね。
今日はその三宅島で2ヶ月に一回発行されているミニコミの新聞を持って来ました。」
秋沢 「えっと、『三宅島新報』という名前ですね。これはどんな内容なんですか?」
崎山 「持って来たのは今月発行されたものですけれども、高齢化問題の解決に向けた提言であるとか、火山ガスの濃度が高い地域に家があるため島に帰りたくても帰れない人の切実な想いとか、こういったものがA4判の4ページに渡って掲載されています。」
堀尾 「『災害に終止符を』とか2000年噴火についても書いてありますね。」
崎山 「これを発行しているのは市民団体の三宅島ふるさと再生ネットワークで、主な原稿はそのメンバーの人が書いています。ただ、パソコンを使って紙面を編集する作業については、大学生のグループがボランティアで協力しているんです。この大学生達が、神奈川県伊勢原市にある向上高等学校の卒業生達のグループなんです。」
秋沢 「どうして神奈川県の高校が、三宅島と関わりがあるのですか?」
崎山 「8年程前に向上高校の学校新聞が、避難してきている島民を取材したのがきっかけだそうで、その後も学校新聞が三宅島の問題を取り上げてきたんですね。そして、学校新聞を作っている生徒達の中から、卒業してからも何か島の復興のためにできないかという声が上がって、この三宅島新報の編集に協力することになったんです。大学生の一人、佐藤健哉さんに話を聞きました。」
佐藤 「高校の時点で、三宅島とかそういうボランティア活動とかをやっていたことが最終的にはここに繋がったんだと思うんですけど、そういうボランティア活動を通じて得られるものというか、自分でも役に立ててるところがあるってところに感動を覚えることが一番大きかったですね。」
崎山 「『自分でも役に立てていると感じたから』という佐藤さんなんですが、今月の三宅島新報では第4面を担当していまして、私が取材した日は、島に帰りたくても帰れない人達が東京で集まった新年会の様子について、記事の見出しを決めたり、写真を選んで載せる位置を工夫したりするなど、パソコンを前に編集作業に取り組んでいらっしゃいました。佐藤さんを含め10人程の学生達が分担して作業をして、この三宅島新報が完成しているんです。そして向上高校の卒業生達は、パソコンを前に編集しているだけでなくて、年に一回は三宅島にも出かけて行って、取材やボランティア活動を行っています。
大学生の一人、相澤春歌さんは、三宅島を訪れた時のことについて次のように話していました。」
相澤 「年に一回、三宅島に行って、『いつも読んでるよ』とか『ありがとう』とか言ってくれると、やって良かったなっていうやりがいに繋がりますし、三宅島に行って実際に色々取材もしてきたんですけど、すごい私達も勉強になるので、社会勉強だとか。これからも、続けていきたいと思っています。」
堀尾 「三宅島の人と直接の交流があるのですね。」
崎山 「そうですね。学生達の協力について島民はどう感じているのか、三宅島ふるさと再生ネットワーク会長の佐藤就之さんにも話を聞きました。聞いて下さい。」
佐藤会長 「もう大感激でございます。こういう人達が災害の状況を発信を担ってくれているというようなことにね。
本当に期待しています。やっぱり災害を風化させないということが一番大きな課題でありまして、そういうことで非常に貴重な活動ではないかなと思います。」
秋沢 「災害を忘れないためにも、大事な活動なんですね。」
崎山 「マスコミでは、三宅島の災害について報じられることは少なくなっています。そんな中この三宅島新報は、島民同士の繋がりを保つメディアにもなっているようなんですね。向上高校の卒業生達の力もあって発行が5年間続いていた三宅島新報ですが、三宅島が本当の意味で復興するまで続いていって欲しいな、と取材して思いました。」
堀尾 「実は私も三宅島に2回程、災害がある前に行ったことがあるんですけれども、良い島なんですよ。
星が綺麗だし、魚は美味しいし。本当に観光で訪れて欲しいですね。多くの人達に。」
崎山 「自然災害のせいで、どうしてもまだ火山ガスの濃度が高くて、中々戻れない人とかがいるんですけれども、それが完全に復興するまで島のことを忘れて欲しくないと、島の人達は話していましたけどね。」
堀尾 「今回の東日本大震災でもこのようにね、語り継ぐメディアがボランティアとして生まれる可能性がありますのでね、崎山記者に取材してもらいました。ありがとうございました。人権トゥデイ、東京都人権啓発センターがお送りしました。」
―― 了 ――